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しながわ 笑顔のバトン

フラワー永野 五反田

プリザーブドフラワーでお年寄りを元気に!

五反田 フラワー永野

生まれも育ちも五反田

Q.五反田で長く商売をされていると思いますが、昔の話を含め教えて頂けますか?

永野さん:戦前より、母は両親と五反田に住んでいましたが、東京大空襲で五反田はほとんど焼け野原になってしまったそうです。
 母と祖母が旅館業を営んでおり、私は旅館の娘として生まれました。 
父は会社員で、母は社交家で、昼間はほとんど家にいなくて、小さい頃はいつも祖母と一緒でした。。。
 子供の頃は、「将来はいつも家にいる優しいお母さんになりたいと思っていました。」
Q.どんなご両親でしたか?

永野さん:両親のしつけはとても厳しく、家事はもとより、男女のあるべき姿までしつけられました。
 叔父一家とも一緒に暮らしていて、大家族だったので、毎日子守をしながらの手伝いでした。

 中学生ぐらになると、朝晩の手伝いは当たり前! 旅館なので、団体などのお客様がいらして忙しい時は、学校の試験中だろうがそんなことは関係なく毎晩仕事が終わるのが23時…それから自分の学校の勉強をしていました。
 母は、一度も「勉強しなさい」とは言いませんでした(笑)
 バレー部に入っていたのですが、なかなか出ることができず、少しでも帰りが遅くなると学校に電話がかかってきて引き戻されていました。。。とても恥ずかしかったのを覚えています。
 高校の時には、既に手は指紋がなくなるぐらいに荒れてました。
Q.大変な幼少期から青春時代を過ごされてましたね。その後はいかがでしたか?

永野さん:高校を卒業後、やっと許可してもらったアルバイトがお弁当の仕出し屋さんでの夜中から?の早期アルバイト。
 大変でしたが楽しかった記憶があります。
朝のアルバイトをしながら、短大へ通い栄養士の免許を取りました。

Q.ご結婚は早かったのですか?

永野さん:一度は社会に出て働きたい! とベビーコンサルタントとしてデパートへ入社しました。
その頃、母はお見合いの話を次から次へと持ってきましたが、色々な想いがあって全て断っちゃいました(笑) 高校2年の時、知り合った方と結婚し、その頃、調理師の免許も取得しました。
Q.ゆっくりする暇もなく突っ走っていた感じですね!? 「フラワー永野」はいつから始められたのですか?

永野さん:結婚した後、旅館をホテルに建て替えるという話があって、両親が永野ビルを建て、その1フロアーでお花屋さんをスタートすることになりました。
その頃に2人目の子供が産まれて…
 花屋を手伝ってほしいと言われたものの、仕事を教えてくれる人は誰もいなくて、仕事・家事・育児とすさまじく忙しい日々が続きました。
 仕事では、自分流を生みだすぞ!って思いで頑張ってきました。
 その結果、徐々に有名人へ送る花の注文が多くなってきました。