受け継がれるもの 京の巧の技
暮らしと作陶活動が一体となった中村譲司さんの作業場
やきものと聞いて高価なものや渋いといったイメージがあるかもしれません。しかし、日本に存在するやきものは全国津々浦々で、その種類は多岐に亘ります。
我が国のやきものは、世界でも類を見ない独特の文化と密接に繋がり、独自の道を歩んできました。海外ではワンプレートで済ませることもあり、コース料理でも同じ色やサイズの食器を使用することが多いです。一方、日本の和食においては、それぞれの料理に合った器が出されます。多種多彩なやきものの数々は我が国ならではの産物です。
また、やきものと一口に言っても、その陶器と磁器の違いがあります。陶器は陶土という粘土から作られており、光は透しません。一方、磁器は陶石という石から作られており、光を透過させる性質があります。
作業風景
作業場の様子
電動ろくろで器の形を作る
作った作品を乾燥させる
釉薬の入ったバケツ
作業工程によってはもう一つのろくろも使用します
作品を焼く電気窯
【釉薬】
うわぐすり。
陶磁器の表面に施すガラス質の溶液。
中村譲司さんにお話を伺いました
取材に応じてくださる中村譲司さん
この道に進むことを選んだきっかけはなんですか?
美術系高校を出て芸術系の大学に入りました。勉強があまり好きではなかったため、工芸(陶芸)の道を選びました。
大学を出てからはオブジェで食っていこうと考え、炭山で3年間弟子入りして修行しました。それから、職人として2年間勤め、その後職員として大学に戻りました。
転換期となったのは?
30代くらいまではずっとオブジェを作っていました。それまでは勤め人として作っていましたが、これからは自分で作って売ってみようって。そこからは、大学職員の退職金と失業保険で3年間陶芸に専念しました。
これまでで一番大変だったことは?
30歳までがしんどかったです。親からも「いつやめんの?」と言われ続けました。結婚を機にオブジェから器に転身。過去にオブジェで何度か展示会をさせてもらったこともあり、転身を聞きつけたギャラリーさんから声をかけてもらいました。今でも年に1回はオブジェは作っています。
作家としてのこだわりは?
そんなにコアなファンを作りたいわけではありません。ぱっと見て自分のだな、と分かるような作品を作れるよう、自分だけの作風を確立できるよう目指しています。
この仕事をしていてよかったと感じたことは?
遊びの延長が仕事みたいなものです。作業場と生活の場が一体となっているので、朝起きてすぐにやりたいこと(作陶)ができます。
【炭山】
宇治市炭山地区
深い緑に包まれた静かな里山で、多くの窯元が集まっています。
譲司さんの作品のイメージは、建築物から得たイメージによって生まれたものだと言います。インテリアとして陶器を購入する人も多い昨今、いかにその空間に合ったものを作るかが鍵なのだとか…。
作家さんとは職人肌で、ともすれば独りよがりなイメージもありますが、中村さんはきちんとしたマーケティングも行っているとのこと。作家さん自身だけではなく、お客さんを育てることもまた大切なのだそうです。
中村譲司さん、ありがとうございました。